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持続可能性 −人間中心主義と反人間中心主義−
  「「持続可能な開発」というのは偽善である」と評している者を見かけたが、この偽善を分析すれば以下のようになる。(ここでの議論は環境保護運動についても適用される。)
  私は、「持続可能な開発」や「環境保護運動」が、より長期的には人間中心主義に立脚しており、より短期的には利己主義に立脚していることによって発生したものであると見ている。それらの追求は、決して純粋に地球や他の動植物のために行っているのではなく、従来型の破壊的な開発を続けた場合、いずれ自らに跳ね返ってくるということに思い至ったために、方向転換しただけのことである。
  すなわち、旧型の人間中心主義が近視眼的、直接的であったのに対し、新型の人間中心主義は遠視眼的、間接的(一般人からすれば賢い、大人なやり方)なのである。人が生きていけないような環境になるまでにはまだ時間がある、したがってそうした事態に至る以前に死ぬと一般に思われるような人による持続可能性、ないし環境保護の提唱は、彼らの思想の背景に「人類は存在し続けなければならない」という独断があると考えれば説明づけることができる。他方、後者の利己主義とはどういうことかと言えば、持続可能性言説や環境保護言説が蔓延しており、その時流に乗らないと攻撃を受け、場合によっては生活していけなくなる、もしくは生活していけたとしても富裕層には加われないという理由から見かけ上の支持を行っているということである。
  むろん、なかには反人間中心主義的な意図に基づきそうした行為をしている者もいると思われる。しかしながら、反人間中心主義も突き詰めれば人間中心主義に転じることとなる。それは、結局のところ人間の言語で考えているからにほかならない。(動物の感覚や感情を人間の言語で代弁することなど果たして可能であろうか。)

更新日 ----年--月--日
作成日 2007年4月6日



関連項目

A 懐疑論とその限界